東京高等裁判所 昭和54年(行ケ)85号 判決 1981年4月27日
原告
昭和高分子株式会社
被告
特許庁長官
右当事者間の審決取消請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
特許庁が昭和52年審判第11347号事件について昭和54年4月13日にした審決を取消す。
訴訟費用は、被告の負担とする。
事実
第1当事者の求める裁判
原告は、主文と同旨の判決を求め、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
第2当事者の主張
(原告)
請求原因
1 特許庁における手続の経緯
原因は、名称を「成形可能な樹脂組成物」とする発明(以下「本願発明」という。)につき昭和45年2月17日特許出願したところ昭和52年6月17日拒絶査定を受けたので、同年8月29日審判を請求した。この請求は昭和52年審判第11347号事件として審理されたが、昭和54年4月13日「本件審判の請求は成り立たない。」との審決があり、その謄本は同月28日原告に送達された。
2 本願発明の要旨
(a) 側鎖にカルボキシル基を有する熱可塑性ポリマーと、(b)α―β―不飽和多塩基酸を一成分として含み、任意の飽和多塩基酸と共に多価アルコールとエステル化して得られる二重結合当りの分子量が215よりも大きい不飽和ポリエステルを共重合可能なビニルモノマー(但し、フタル酸ジアリルエステル・エンドメチレンテトラヒドロ無水フタル酸ジアリルエステル及びシアヌル酸トリアリルを除く。)に溶解した不飽和ポリエステル樹脂及び(c)(a)及び(b)のカルボキシル基と反応することのできる二価金属の酸化物あるいは水酸化物の三者を含有することより成り、硬化時の収縮が少なく、色むらの発生のない成形可能な樹脂組成物。
3 審決の理由の要点
本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。
本願発明の特許出願前に特許出願された特許第821573号の発明(昭和44年6月12日特許出願、昭和51年7月9日設定登録、名称「バルク及びシート成形用コンパウンド」、以下「先願発明」という。)の明細書の特許請求の範囲には、
「(a)二重結合1個当りの分子量が142~215のα、β―エチレン不飽和ポリエステル20~80重量%、(b)エチレン不飽和単量体20~80重量%、(c)(b)中に又は(a)と(b)の混合物中に可溶の酸基0.1~5重量%を含む酸官能性熱可塑性重合体1~25重量%及び(d)化学的増粘剤から成る、改善した表面平滑度特性を得るためのバルク成形用コンパウンド及びシート成形用コンパウンド」と記載されている。
そこで、本願発明と先願発明とを比較すると、本願発明においては、不飽和ポリエステルの二重結合当りの分子量が215よりも大きいという限定があるのに対し、先願発明においては、それが142~215と限定されている点において一応の相違は認められるが、その他の点については、表現上の相違はあるものの、実質上の差異は認められない。
そこで、前記の相違点について検討するに、この不飽和ポリエステルの二重結合当りの分子量の限定は、先願発明の明細書の記載をみると、先願発明において、格別の意義を有するとは認められないものであり、他方、本願発明の明細書の記載及び請求人の主張を検討すると、本願発明においても、格別の意義があるとは認められない。
したがつて、本願発明で使用する不飽和ポリエステルの二重結合当りの分子量が、先願発明のものと形式的に異なるからといつて、直ちに本願発明が先願発明とは別個の発明を構成するものとすることはできない。
結局、本願発明は、先願発明と実質的に同一の発明と認められるので、特許法第39条第1項の規定により、特許を受けることができない。
4 審決の取消事由
審決は、本願発明と先願発明との対比において、不飽和ポリエステルの二重結合当りの分子量の限定が異なることを認めながら、両者の発明を同一の発明としているのであつて、その判断は誤りであり、違法である。以下に詳述する。
なお、審決における、本願発明の要旨、先願発明の明細書中の記載の各認定並びに先願発明と本願発明を対比すると、審決認定の相違点、一致点のあることは争わない。
1 特許法第39条第1項の規定の立法趣旨は重複特許の排除にあるから、この規定は、2個の発明が別発明であると客観的に識別できない後願発明にのみ適用されるものである。そして、2個の発明が別発明であるか否かは、発明の構成を基準として定められるものである。すなわち、2個の発明が、構成上全面的に一致するか、又は、両者に広狭の差があるだけで部分的に牴触する場合は、構成の面から客観的に両発明を別個のものと識別することができないので、両者は同一発明というべきであるが、両発明の構成が異なり互いに牴触しない場合は、これにより両発明の異なることを客観的に識別できるのであるから、両者は別発明というべきである。
本願発明の場合、審決においても認めるとおり、分子量の限定の点で先願発明とは明確に区別されており、両発明の構成が異なつていること及び互いに牴触がないことは明らかである。したがつて、本願発明は、先願発明と客観的にみて別発明であると識別できる発明であり、特許法第39条第1項に規定される同一発明ではない。
2 審決において、不飽和ポリエステルの二重結合当りの分子量の限定が、先願発明においても本願発明においても、格別の意義をもつものではないとしているのは、誤りである。
(先願発明)
先願発明は、当該分子量を142~215に限定しているが、この限定によつて、改善した表面平滑特性を得るためのバルク成形用コンパウンド及びシート成形用コンパウンドが得られると解するのが相当である。何故ならば、発明の構成要件に数値の限定がある以上、反対の根拠のない限り、発明の目的及び効果は、その限定された範囲内においてのみ達成され、その限定の範囲外においては、通常発明の目的及び効果の達成が困難であると解されるからである。
したがつて、先願発明の分子量の限定も、先願発明の目的及び効果を達成する要件の1つとしての意義を有している。
(本願発明)
本願発明は、当該分子量を215よりも大きい範囲に限定するものであり、この限定の意義については、明細書(甲第2号証)第7欄第21行~第28行に明確に記載されている。すなわち、先願発明における右分子量が142~215のような高反応性の不飽和ポリエステルは、反応時のゲル化のおそれ並びに硬化時のクラツクの発生時のトラブルを起し易いのに対し、本願発明の右分子量が215より大きい範囲に限定された不飽和ポリエステルの場合は、右のような欠点がなく、使用し易い利点がある。更に、分子量を右のように限定した本願発明においては、その組成物から得られる成形品において、着色品の色むらが全く見られないという優れた作用効果が収められる(検甲第2号証、第3号証、第6号証参照)。
以上のように、本願発明における当該分子量の限定は、発明の効果からみても、明白に意義がある。
(被告)
請求原因の認否と主張
1 請求原因1ないし同3の事実は認める。
2 同4の主張は争う。
1 その1の主張について
本願発明と先願発明との発明の構成が、不飽和ポリエステルの二重結合当りの分子量の限定の点で形式的に異なるからといつて、そのことから常に両発明が別個の発明であるということになるものではないから、原告の主張は理由がない。
2 その2の主張について
(先願発明)
先願発明は、不飽和ポリエステルとエチレン不飽和単量体(共重合可能なビニルモノマー)とから成る、周知のいわゆる不飽和ポリエステル樹脂を成形硬化させる際の収縮性や表面平滑性等を改良するという技術的課題を、酸官能性熱可塑性重合体(側鎖にカルボキシル基を有する熱可塑性重合体)と化学的増粘剤(金属の酸化物あるいは水酸化物)とを添加することによつて解決しようとした技術的思想に関するものである(甲第3号証第1欄下から第5行~同第2欄第8行)。
ところで、先願発明で使用する不飽和ポリエステルの不飽和度については、先願発明の明細書(同第5欄第23行~第27行)には、不飽和ポリエステルの連鎖の二重結合1個当りの分子量で表示され、142より大きいが215より小さいものであると記載されているが、それ以外に、そのように設定した理由はもとより、その数値の意義についての説明はない。しかも、そのように特定した分子量の不飽和ポリエステルでなければ、前記の先願発明の技術的課題が解決されないという理由は見当らないから、この記載は、先願発明の発明者が現実に実施しようとする不飽和ポリエステルを二重結合当りの分子量で単に表示したに過ぎないと解され、先願発明がこの不飽和ポリエステルの二重結合当りの分子量を限定したことに基づく発明であると解すべき余地はない。
(本願発明)
本願発明も、いわゆる不飽和ポリエステル樹脂の成形硬化時における収縮性等を改良するために、不飽和ポリエステル樹脂に酸官能性熱可塑性重合体と金属の酸化物あるいは水酸化物を添加したものである(甲第2号証第4欄第2行~第7欄第13行)。
このように、先願発明も本願発明も、同一の技術的課題を同一の技術的手段によつて解決しようとしたものであり、両者の技術的思想は同一である。
原告は、本願発明における分子量の限定に意義があるとして、検甲第1号証ないし第6号証を提出しているが、検甲第1号証ないし第3号証の「お盆」が、原告主張のように、甲第4号証の実験報告書に記載の方法で得られた成形品であるかどうかは分らないし、本願発明における不飽和ポリエステルの二重結合当りの分子量が215より大きいという限定条件に格別の意義があるかどうかは、その分子量が221及び293の場合と156の場合とを比較しただけでは、判断できないことである。しかも、これら検甲第1号証ないし第3号証の「お盆」を対比して観察してみても、色むらの差異は、それが存在するとしても、肉眼では判別できない程度のものにすぎない。
次に、検甲第4号証ないし第6号証の「ボビン」が、原告主張のように、甲第5号証の実験報告書に記載の方法で得られた成形品であるかどうかは分らないし、本願発明における不飽和ポリエステルの二重結合当りの分子量が215より大きいという限定条件に格別の意義があるかどうかは、その分子量が233の場合と208の場合とを比較しただけでは判断できないことである。しかも、これら検甲第4号証ないし第6号証の「ボビン」を対比して観察してみても、クラツクの有無は、精査して始めて判る程度のものにすぎない。そのうえ、検甲第4号証及び第5号証の「ボビン」は、不飽和ポリエステル樹脂(c)を用いて成形した「ボビン」10個のうちのクラツクが発生した4個の中の2個であるというのであるが、このポリエステル樹脂を用いて、果して「10個のボビン」が成形されたのか、更には、クラツクが発生したのが10個のうち4個だつたのかは全く判らない。そして、たとえ、それが原告主張のとおりであつたとしても、成形した「ボビン」10個のうちにはクラツクの発生しない「ボビン」が6個はできている訳である。同様に、検甲第6号証は、不飽和ポリエステル樹脂(F)を用いて成形した「ボビン」10個のうちの1個であるというのであるが、このポリエステル樹脂を用いて果して10個の「ボビン」が成形されたのか、更には、それらの全てにクラツクが発生しなかつたかどうかは判らないのである。
第3証拠関係
原告は、甲第1号証ないし第5号証及び検甲第1号証ないし第6号証を提出し、検甲第1号証は、甲第4号証に記載されている不飽和ポリエステル樹脂A(二重結合当りの分子量が156である先願発明に相当するもの)に、メタクリル酸メチルとメタクリル酸との共重合ポリマー及び充填材などを配合し、同号証に記載の方法で加熱、加圧成形して得られた「お盆」、検甲第2号証は、同様、不飽和ポリエステル樹脂B(二重結合当りの分子量が221である本願発明におけるものに相当するもの)を基にして成形された「お盆」、検甲第3号証は、同様、不飽和ポリエステル樹脂C(二重結合当りの分子量が293である本願発明におけるものに相当するもの)を基にして成形された「お盆」、検甲第4号証は、甲第5号証に記載されている不飽和ポリエステル樹脂(c)(二重結合当りの分子量が208であり、先願発明におけるものに相当するもの)を用いて成形した「ボビン」10個のうちのクラツクの発生した4個のなかの1個、検甲第5号証は、同様、クラツクの発生した「ボビン」のなかの1個、検甲第6号証は、同様、不飽和ポリエステル樹脂(F)(二重結合当りの分子量が233であり、本願発明におけるものに相当するもの)を用いて成形した「ボビン」10個のうちの1個、であると述べた。
被告は、甲第1号証ないし第3号証の成立は認めるが、第4号証、第5号証の各成立及び検甲第1号証ないし第6号証が原告主張のようなものであることは不知、と述べた。
理由
1 請求原因1ないし同3の事実は当事者間に争いがない。
2 そこで、原告の主張する審決取消事由の存否について検討する。
(1) 取消事由1の主張について
原告は、本願発明においては、不飽和ポリエステルの二重結合当りの分子量の限定の点で、先願発明と明確に区別されており、両発明は構成を異にし、互いに牴触するところがないから、同一の発明には当らない、と主張する。しかしながら、たとえ、そのように分子量の限定の点で両発明が区別されているとしても、その限定が当該発明において格別の意義を有しないとき、すなわち、当該発明の目的、効果を達成するために右分子量の限定の有無が格別意義を有しないときには、右限定にかかわらず、両者は、特許法第39条第1項に規定する同一の発明と解すべきものであるから、原告の右主張は、理由がない。
(2) 取消事由2の主張について
原告は、右分子量の限定が、先願発明においても本願発明においても、格別の意義を有しないとした審決の判断は誤りである、と主張する。
よつて検討するに、成立に争いのない甲第3号証によれば、先願発明の明細書の「発明の詳細な説明」の項には、「本発明のポリエステル連鎖の(二重結合1個当り―1反覆単位当り―の分子量で測定した)不飽和度は、142より大きいが、215よりは小さい。147より大きいが186よりは小さい不飽和度が好ましい。」(第5欄第23行~第27行)と記載されており、一方、成立に争いのない甲第2号証によれば、本願発明の明細書の「発明の詳細な説明」の項には、「二重結合1個当りの分子量が142~215のような高反応性の不飽和ポリエステルは、反応時のゲル化の恐れ、並びに、硬化時のクラツクの発生等のトラブルを起し易い。……すなわち、二重結合当りの分子量が215よりも大きい不飽和ポリエステルが適当である。」(第7欄第21行~第28行)と記載されていることが認められる。
右甲第3号証の記載が、先願発明における右分子量の限定の意義、すなわち、その分子量の限定が発明の目的、効果を達成するために、如何なる意義ないし不可欠性を有するかを具体的に示していないことは被告が指摘するとおりである。しかしながら、右甲第2号証の記載は、不飽和ポリエステルの二重結合1個当りの分子量が小さいものよりも大きいものの方が製品の性質が優れている傾向にあることを定性的に示している。
そして、弁論の全趣旨によつて真正な成立を認めうる甲第5号証によれば、不飽和ポリエステルは、その合成過程における酸価(縮合の程度を示す数値、これが小さい方が縮合反応がより進行していることを示す。)と物性との間に関係があり、主要な物性である熱変形温度、誘電体力率、曲げ強さ及び曲げ弾性係数等はいずれをとつても、酸価が小さい(すなわち、縮合反応がより進行している)方が良好であること、不飽和ポリエステルを実用的なものとするには、30~25程度の酸価にまで反応を進行させる必要があること、反面、不飽和ポリエステルの合成においては、縮合反応と同時に、同ポリエステルの二重結合が原因で起る架橋反応によつて三次元構造となり、この構造がある程度出来てくるとゲル化現象を起し、樹脂の成形加工性が失われて、不飽和ポリエステルとしての価値がなくなつてしまうこと、したがつて、工業的にはこのゲル化が起る寸前まで酸価を下げて(すなわち、反応を進行させて)できるだけ良好な物性の不飽和ポリエステルを製造する必要があるが、このゲル化は、不飽和ポリエステルの反応性(分子中に存在する二重結合量)と相関関係があり、二重結合の少ない(すなわち、二重結合1個当りの分子量が大きい)不飽和ポリエステルの方が、二重結合の多い(すなわち、二重結合1個当りの分子量が小さい)不飽和ポリエステルよりも、ゲル化が起り難く、合成反応においても、反応の進行に伴つて酸価が下つていく過程で、二重結合1個当りの分子量が小さい不飽和ポリエステルの方が先きにゲル化を起す傾向があること、実験の結果によると、二重結合1個当りの分子量が156及び208となる組成の不飽和ポリエステル合成原料の場合(実験1及び3)には、合成反応の中途中でゲル化が起きてしまつて、酸価が30以下になるまで反応を続けることはできないか、あるいは、合成できても、実用性のないものであるのに対し、右分子量が221、233、247となる不飽和ポリエステルの場合には成功していること(実験2、4、5)が認められる。
以上の事実によれば、前掲甲第5号証によつて、二重結合1個当りの分子量が大きい不飽和ポリエステルの方が、それの小さい不飽和ポリエステルに比べて、物性が優れている傾向にあることが認められ、本願発明の明細書の「発明の詳細な説明」の項にもその旨が定性的に記載されているから、審決が先願発明及び本願発明について、それぞれの二重結合当りの分子量の限定は格別の意義をもつものではないとした判断は、誤りといわざるをえない。
そして、この判断の誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは、審決の理由の説示に徴して明らかであるから、審決は違法として取消を免れない。
3 以上のとおりであつて、原告の主張は理由があるから、審決の違法を理由にその取消を求める本訴請求は正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担については、行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(荒木秀一 藤井俊彦 清野寛甫)